血が猛るという現象



友人からこの前の「燃えよ剣」の続きを借りてつぶさに読んでいて、真に懐かしい感覚に教われました。「燃えよ剣」の感想はまた後に。


さて、今日陥ったこのタイトルの不気味な心理状態。思い起こせばおいらが空手5年、柔道2年とやってきて、終生の地と選んだのは剣道。中学校の部活選びで本気で悩んでいた12歳の少年は、武を取るか球への道を突き進むのかで頭を抱え、ついに剣の道を選んだのでした。野球部に入って、もしかしたらおいらは野球がキライになるかもしれない、と判断したのです。野球は生涯最後まで愛していきたいと思っていたし、当時自分には野球の才能は無いだろうと軟式野球の経験から感じており、それならば剣で、と半ば妥協の形で選択したことを今になって思い返します。
しかしまぁまだ150cmぐらいの成長期も迎えていない少年は剣道にのめりこみました。とにかく竹刀を振り続けた。で、1年生の中では一番最初に防具をつける人間になり、次第に同期の人間達も防具を付け始め、ついに試合と来たもんですよ。
当時竹刀の正しい振り方ぐらいなものしか教わっておらず、とにかく振れば何とかなる的な事を自分に言い聞かせながら考えたものです。正直、心が震えてどうしようもなかった。後のほうに防具をつけた人間達から、勝ち抜き方式で最初に防具を着けた人間に進んでいき、部長にて終わる。おいらは前述の通り最初に着けたので1年生では一番最後。今から考えればどうしようもなく低レベルな試合だったのですが、とにかく打ち震える心を鎮めながら、どうしたら勝てるかをその時必死に思案。で、結局「振るしかない」と結論に至り、自分の番が来ました。
当時身長も高くなかったおいらよりもちょっと低いくらいのその男は、真ん中らへんにいたけど上がってきた人間、上に居た人間を次々と打ち破り、ついにおいらとの試合となりました。
人に向かって剣を振るのはこれが最初。そして向こうは4連戦ほどして疲れてはいるが、幾分経験がある。五分五分。で、戦ってみると、面が受けにくい。ちょっと癖があって、実に捌きにくい。前の人間との試合を見て、変な面を打つなとは観察していたけど実際に対戦してみると変だとはいえ合理的に打って来る。ついに1本取られ、終了間際1本また取られ、敗北。で、そいつは先輩方まで進んで敗北の至りとなりました。


これはおいらの闘争本能を掻き立てました。とにかくもう腹が立ったという表現のほうが正しいくらい、そいつへの対抗心、嫉妬、憎悪に入り乱れた、「次は殺る」という明確な殺意を持って、訓練に明け暮れました。とにかく勝つ。
で、毎日竹刀を振って、竹刀の中に砂を入れたペットボトルをぐるぐる巻きつけ、アパートの前でとにかく振りました。後にこれがうちの中学の剣道部の深夜練習の恒例になったのは後の話。
試合用の竹刀は削って削って軽くして、もはや今考えたらただの異常者です。でも、勝ちたかった。そして次の試合の日。そいつは相変わらず勝ち進んで、おいらまで進んできました。その時の心境が、今日の「血が猛る」という現象のおかげで思い起こさせるに至ります。
試合は何てことなく、2秒で片がつきました。異常者の面は前の試合よりも格段に速く、向こうが動作をしないうちに打つことが出来たのです。相変わらず試合前まで、人にはそれから竹刀を向けていません。ぶっつけ本番の技でした。そして先輩2人を破り、次期部長に叩きのめされて敗北。ここでおいらの異常なまでの剣への執着はぷっつり途切れました。剣道はそれから高校に進んでも続けていたし、中学の時には団体で無敗をほこったり、個人では厚木愛川ベスト8とか県央ベスト8まで進んだこともあります。
一戦に対する異常なまでの執着心は、あの試合のみで終わっていたのです。土壇場、これに勝てば県大会に行ける、とか、大将格の人間を次峰に当てる学校とかが1年に1回くらい来て、その大一番での対戦だとか、すべからく負けました。顧問の人間からすれば、メンタルの弱い人間だったことでしょう。うちの学校は先鋒次峰(俺)が勝ちを確実に拾うため、副将以下に後輩やら弱い人間を配備して、後で違う学校の友人に「お前のとこの学校の先生は先→次→中→副→大を逆に読むあまのじゃくだな」と揶揄されたこともありました。とかく俺は自分で言うのもなんだけど、何でも無い試合には滅法強かった。半分以上は次峰は一年坊主か弱い人間で、半分以上は秒単位で葬り去りました。脇道に逸れましたが、とかく今日は異常な気分です。部屋の押入れに竹刀が無いか探す俺はかなりの異常者に映ることでしょう。でも竹刀は剣道やめたときに全部捨てていました。外にはバットが1本あります。愛用品です。それで昔の12歳の少年の時のように振ってみました。この異常な血の猛りをぶつける相手も無いままに振ってみました。で、10本くらい振ったところで石を一つカツンと本屋の方向に打って、部屋に帰ってこの文章を書いている次第です。
やっぱり俺は剣士ではなく、ただのしょぼい野球人だなぁとふと思いました。あれから9年。もはや俺の愛刀は金属バットでしかなかったのです。