お休みラッシュ終了間際



家でぐでーっとしてました。「ショーシャンクを借りたい」と後輩が抜かすのでさっくりそれを渡す。泣くがいいさ。
すっげーどうでもいいことだろうと思うんだけど、おらぁ日本刀を購入する。それも初任給で購入してやる。まぁ新人サラリーマンで普通に買える日本刀なんて存在しないため、当然買うのは模造刀。いわゆる居合用の刀、というわけ。
「刀を買いたい」とまだ厚木に住んでいたころに母親にそれとなく夕食の途中に打診したところ、「あんたなに考えてんのよこのバカ息子」「うっせー俺の金だ文句あんのか」「そんなもん振り回して一体どうすんのよ」「まずはうちのアパートの外人を切り倒して攘夷祭りだコンチクショー」という会話は別に行われてはいなかったが、とりあえず日本刀を購入するから、という明確な意思だけは母親に強く伝え、「止めても無駄だ」と初めてのバイク購入の時のような強いアピールを行って早2年。時は熟した。
なぜにここまで日本刀に拘るのか、それはもう「カッコいいから」とか「人を切り刻みたいから」とか俗世間的なものではなく、ある意味信仰のレベルまで達している日本刀への愛情が自然おいらの足をヤフオクの検索窓、「日本刀 5000円以下」のオプションに向かわせるわけである。
模造刀といえど高い。土方歳三愛用兼定などは15000円からのお値打ち価格となっているし、それ以外にも新撰組の隊長近藤勇の虎轍とか沖田総司菊一文字とかも高い。とかく模造といえどある意味での所持歴に対してちょっとしたブランド意識を持つわけである。
だが購入したところで何か斬るの?と聞かれても別に据え物打ちをするわけでもない。所詮模造。そんなことしたら一発で刀身が曲がって鞘に納まらなくなるし、第一斬れるように刃が研いであるわけも無い。部屋で振り回すだけが俺に購入された刀の行き着く道である。
たったそれだけの理由で購入する価値があるのか?と問いだたされれば「ある」と明確に答えることが出来る。ただ、その輝きを俺の部屋に置くことが出来るだけでもはや価値の説明など意味の無いことだ。
というわけで今現在は、記念すべき最初の日本刀を物色しているところである。別に模造でも業物を買うのは金銭的に難しいために適当な安い刀を購入する。アルミダイキャストで刀身が出来ていようとも、1kgほどの重さで用意に振り回せなくとも、それを置く価値、ここまで説明をダラダラと連ねていれば分かるだろう。分かるだろ?なっ!こんな長文最後まで読んだんだから日・本・刀!買おうぜ!なっ!
ええい、分からぬとあれば斬り込むまでよッ!